もう忘れちゃったよ。
思い出しながら、しらべてみました。
シチリアは丘陵が多い島で、地理的な障害や通信路を保持しにくい地形が多い。それが原因で、第一次ポエニ戦争では陸上戦は重要な役割は担っていない。 陸上行動は小規模な奇襲と軍隊間の小競り合いに限られ、大きな会戦はほとんどなかった。正規軍が最も多用した作戦は、攻城戦と陸上封鎖だった。陸上封鎖の最たる標的は、重要な海港である。というのも、交戦中の両陣営はどちらもシチリアには本拠がなく、本土からの補給と情報交換を続ける必要があったためである。
俯瞰的にはこのような状況だったが、第一次ポエニ戦争の間に、大規模な陸上戦闘が少なくとも2回は行われた。紀元前262年、ローマはアグリジェントの町を攻囲した。この戦闘には執政官2名の軍団を両方(ローマ軍4個軍団)が投入され、終結までに数ヶ月を必要とした。アグリジェントの守備隊はなんとか援軍を求め、ハンノに率いられたカルタゴの救援軍が救出に来た。ローマ軍はシラクサからの補給を遮断され、攻囲中のローマ軍自身が取り囲まれ、包囲網を築かれていることに気付いた。しかし、数回の小競り合いの末、アグリジェントの町は落ち、戦いはローマの勝利に終わった。
この勝利に発奮し、ローマは新たな大規模陸上戦を挑んだ(紀元前255年/256年)が、この度は結果が違った。 何度かの海戦の後で、ローマは早い終戦を願った。このため、カルタゴに講和を押し付けるために、アフリカにあるカルタゴの植民地を侵攻しようと決めた。そして、兵士と機材を運ぶ輸送船と艦隊防御のための戦艦からなる大艦隊を建造した。 カルタゴは阻止しようとしたが、エクノモス岬の戦い(en:Battle of Cape Ecnomus)で敗戦した。 この結果、執政官マルクス・アティリウス・レグルスに率いられたローマ軍がアフリカに上陸し、カルタゴ辺境の侵略を始めた。レグルスは当初は勝利続きで、アディスの戦いにも勝利し、カルタゴに対して講和を強要した。 しかしその条件が大変厳しかったために交渉は失敗し、返答の変わりに、カルタゴはスパルタ人傭兵のクサンティッポス(Xanthippus)を雇って軍隊を再編した。 クサンティッポスはカルタゴの海上の優位性を取り戻し、ローマ軍を本拠から切り離すことに成功して、チュニスの戦いでローマ軍を破ってレグルスを捕らえた。
戦争が終結(紀元前249年)に近づいたころ、カルタゴはハミルカル・バルカ将軍(ハンニバルの父)をシチリアに送った。ハミルカルはほぼシチリア島全土の支配を獲得した。ローマはこの状況を打開するために必死になって、独裁官の選出まで行った。しかしながら、陸上戦よりも海戦の戦果の方が決定力を持つようになり、シチリアにおけるカルタゴの成功は意味を失っていった; ハミルカルはシチリアで無敗を続けたが、それも、紀元前241年のエーガディ諸島(羅:Aegates) 沖の海戦におけるローマ軍の勝利の後では無意味だった。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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